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脚本家は、肉が好き。

汚れちまった悲しみに。

投稿日時:2009/12/10(木) 02:09

中原中也を読んで、オシャレに決め込もう!

とか思って必死に全詩を「解読」したんだけれど、

どうにもこうにも心に入ってこない。


奥田民生さんの「29」「30」というアルバムが好きだったんだけれど、

30歳を越えた辺りから、心に響かなくなった。


桑田佳祐さんが30歳で敢行した「KUWATA BAND」のライブ音源を

ティーンからずっと聞いて育ったが、

これも30歳を越えた辺りから、どうにも響かなくなってきた。


聞く者が、作った人の年齢を越えるとそうなるのか。

あるいは。

$脚本家は、肉が好き。


中也詩集の「解説」を読んでハッとした。

彼の詩は、現在の人が熱狂的な信奉をするほどの素晴らしいものではない、という解説だった。

なぜなら、彼が30歳で死んだことが伝説と化してる部分が大いにあるし、

30歳までしか生きなかったゆえ、その詩はすべて、

「青春を歌ったもの」であるからだ、と。


つまり、「人生を歌ったもの」ではない、と。



話は逸れるが、もしかして、

物語には二種類あるのではないか。


青春を描いたものと、人生を描いたものだ。

あるいは解釈と言っていい。

青春物語として解釈するか、人生訓として解釈するか。


僕は今まで青春物語ばかり書いてきたんではないのか、と。

しかし最近書きたいと願うのは、人生物語になってきたな、と。

幾時代かがありまして、と。

$脚本家は、肉が好き。


そんなことを思いながら、

中也の詩が響かない己におののいて、

「ああ、青春は終わっていたのだな」

と深く溜め息をついたのであります。

おかしい、

そんなはずじゃなかったのに、と。



しかしまあ、

それくらいで逆に丁度いいかもしれない。

僕は社会人として幼すぎる。

あと二年半で不惑になれるとは到底思えない。

オトナになりたいのです!



そんな記念日。
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