脚本家は、肉が好き。 2009/4
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Supercalifragilisticexpialidocious。
投稿日時:2009/04/30(木) 15:23
ゴールデンウィークですので飛びっきりスタイルのいい美人モデル(名前はさすがに書けません)と二泊三日で台湾旅行に行っていましたとか言ってみたい引き籠もり作家岡本貴也です。
今日から取りかかる次の映画執筆に向けて、
読書肉煙草読書肉酒睡眠読書肉黒烏龍茶映画鑑賞菓子煙草肉睡眠映画鑑賞肉米映画鑑賞魚読書睡眠映画鑑賞肉煙草読書
という生活をしております。
ぶた。
うし。
さかな。
身につくのは知識だけではないようです。
体が重いです。
測るのが怖いです。
定食屋に戻りたいと思います。
↑縦に読むと"身体測定"です。
意味はありません。
僕がたくさんのものを身に付けて重たい体で珈琲を飲んでいると、
隣でお爺さんとお婆さん(夫婦ではない)の
お喋りが聞こえてきました。
じい「最近の若人は"知識"ばかりで"知性"がない」
ばあ「そうですねえ、"知識"ばかりで"知恵"がありません」
じい「"知恵"もそうですが、やはり"知性"がねえ」
ばあ「そう、"知恵"がねえ」
かみ合ってません。
ちかるに知恵も知性も、
まずは知識という基礎が必要なのではないかと、
ハタと我に返り、
崇高な会話から手元の書籍に視線を落とし、
肉以外の何かを身に付けようと励んだ、
そんな記念日。
平成○○年(○)○○○号。
投稿日時:2009/04/27(月) 21:19
・想像通り非常に長く、読むのに1時間ほどかかった。
・当たり前だが、たいへんに厳格で論理的な文章であった。
・しかし平文で非常に読みやすかった。
・美しい、悶々と、かわいい、など日常的な修飾語も使われていた。
・判事が結論を出すまでの道のりが非常に長く
大変な作業であることが改めて分かった。
・事件の厳格な事実認定だけでなく、
被害者、加害者、遺族の心情的な事まで書いてあった。
・さらには裁判官の心情、想像も書いてあった。
・他にも驚いた点や感想はたくさんあるが、一旦書いて消した。
もうすぐ裁判員制度が始まる。
86%の確率で。
投稿日時:2009/04/27(月) 13:35
足場の解体が始まり、お天気もいいのです。
天気予報は本来、曇りという概念はなく、
「雨が降るか、降らないか」
だけを予測するもの。
ちなみに当たる確率は、07年で86%。
「いいね!信じよう!」
とも
「当たらないなあ!」
とも言いにくい微妙な数字かしらん。
当たらなかったからと言って、気象庁には何の責任もありませんが、
僕は「たいしたもんだ」と言いたい。
降水確率100%の予報ってのは、年に2回ほどしかないそうですね。
だいたいが台風みたいです。
逆に0%という予報は、
10%刻みで1の位は四捨五入なので、
0ではなく、0~5%の幅があるようです。
狭い範囲の明日の天気で86%。
数日先になると60%オーダーまで落ちます。
そりゃそうです。
三日先で、単純計算で
86%×86×86=63% 。
それが、地球規模という巨大な範囲で、
それも100年先ともなると、当たるわけがない、というのが僕の感覚で。
もちろんこれは天気の話ではないのだけれど。
気象学や気候学は流体力学でもあり、カオス理論でもあり、
初期値問題は避けて通れない(と思う)。
方程式に入力する"初期値"がほんの少し違っただけで、
結果がどかん!と変わってしまうという問題です。
地球規模の気候を予測するには、
過去の気候を参考にする(古気候学)のが一番で、
IPCCはコンピュータで恣意的なシミュレーションばかりしてるんじゃありません!
という赤祖父さんの主張には、なかなか頷けるものがありました。
いくつかの本を読んで僕が分かったことは、ただ一点、
「地球は今、全体としては温暖化傾向がある」
だけだったり。
地球温暖化と、エネルギー問題とを
絶対にごっちゃにしてはいけない、ということも学んだ。
人は、信じたい情報だけにアクセスするクセがあり、
その点には気をつけてはいるつもりなんだけれど、
なかなか難しいのも事実。
今日の関東地方の降水確率は0%。
窓の外を見る限り、これは信じてもよさそうです。
86%の確率で。
そんな記念日。
この旅終えて街に帰ろう。
投稿日時:2009/04/26(日) 16:11
日比谷野音でDAIZOさんや加藤和樹さんにお会いしたかったけれど、
どうしてもこの日は、もう一つのライブに行かねばならなかったのであります。
近藤陽一郎ふろむ新潟。
行ってみると、なぜかこんなのが折り込んであり。
どうやらここ四谷天窓で数日前に暮部拓哉さんがライブをされたそうで。
その時に置いて行かれたフライヤだそう。
ありがとうございます。
帰りには、
門馬俊明、中村哲、設楽季昭、蛭子直和などなど(敬称略)で、
軒をしたたる雨を肴に、二階の座敷でこんこんと呑んでおりました。
ライブ帰りなのになぜか始終、芝居の話に花ヶ崎。
それは違うと稲村ヶ崎。
あーだこーだと由比ヶ浜。
それはそれは楽しい雨夜でございました。
そんな、
近藤陽一郎がサラリーマンになって初めて東京でライブをやったその夜、
蛭子直和さんが、俳優を廃業されたことを知りました。
植物は、どんなに切り刻んでも、
小さな断片から完全な元の姿に戻れるそうです。
しかし動物はそうは行きません。
iPS細胞はまた別のお話。
人生は一度きりだからこそ、
あんなに激しい嵐の夜は、
海路を選び直さなくてはなりませぬ。
いつか死ぬのがさだめなら、
一期は夢よ、ただ狂え。
岬めぐりのバスは走る。
そんな記念日。
サバイバーズ ギルト。
投稿日時:2009/04/25(土) 01:38
2004~5年、阪神淡路大震災の舞台化をしているとき、
取材した先の看護師や医師、教師も役人も俳優も、
被災者の誰もがみな、
「死なずに生き残ってしまった自分を責める気持ちがある」
と口を揃えて言っていた。
僕ですら、直接揺れを経験しなかったことを「後悔」していたりた。
あれはよく分からない感情だった。
一体何なのか、どこから来るのか、自分に説明が付かないのだ。
(公演を終えた今は、もうその感情はない)
そもそも。
あの感情は、僕だけが抱いていると思っていた。
(だからあの舞台を創った)
ところが生き残っている被災者全員が感じていたわけだ。
つまり、
あれはとてもとても「一般的な」感情だったということを、
僕は取材を通して知った。
でもそんな精神状態があることを誰も公に指摘しなかったし、
きちんと定義づけさえされていない。
……と思っていた。
今日、ようやくそれを指す言葉を見つけた。
ちゃんと言葉があったのだ。
山口県光市母子殺害事件の遺族、本村洋さんへのインタビュー本、
「罪と罰」に載っていた。
それは、
サバイバーズギルト
(Survivor guilt / Survivor's guilt:生き残りの自責心・罪悪感)
というそうだ。
(本文には"サバイバルギルト"と書いてあるが、恐らく英語の読み間違い)
ある精神状態を定義づける「言葉」が存在すると、
「ああ、これは僕だけじゃないんだ」
と安心できるという一面がある。
僕が大学4年生の頃に
脳科学や精神分析や認知心理学の本を読み漁っていたときによく感じたことだ。
(そしてあの時に学んだことが、十数年後に演出という仕事に役立つとは誰が予想しただろう!)
さらに言えば、僕が女性に振られたときに、
「こんな悲しいのは俺だけじゃない。人類史上、数百万年間に、何百兆人という人々が感じてきた一般的なことだ!」
と無理やり自分に言い聞かせたのにも似ている。
いや、それはどうでもいい。
今日はあの感覚を久々に思い出した、という話だ。
そんな記念日。
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