脚本家は、肉が好き。 2009/11/25
各駅停車のレモン色が。
投稿日時:2009/11/25(水) 12:49
レモンをお茶の水の聖橋(ひじりばし)から放って快速電車の赤い色とすれ違わせてみたい岡本貴也です。
四谷に「ぶちうま」という、友人が始めたラーメン屋がありまして、
そこは唐辛子を大量に放り込んだ、激辛の広島ラーメンで。
これがまあ、めちゃくちゃ旨いんですが、
食べ方がありまして。
途中で、レモン汁をつゆに放り込むんですな。
そうすると、あれよあれよと味が変わって、
まったく辛くなくなるんですな。
つまり、レモンは味を劇的に変えるのだ、と。
それも、マイナスの方に、「味をなくしていく方向」へと。
それが正しい結論かどうかは知りませんが、
あの衝撃を受けてから、
僕は居酒屋などで出てくる、添え物のレモンを搾らなくなりまして。
とくに唐揚げ。
唐揚げなんて、あんな味の「薄い」ものに、
レモンなんぞかけた日にゃあ、
ただの「鳥と麦の味」になってしまうのではないか?と。
魚も同じで。
焼き魚などは、しょうゆすらかけずに塩で食いたい我が身としては、
レモンは御法度ではないのか?と。
かけていいのは、味の濃い牡蠣(とそのフライ)だけでしょうか。
科学的には、
脂分の消化を助けるそうです、レモンは。
これは納得。
居酒屋で、大人数でいて、レモンが出てきたら、
「かけていーい?」
と身軽な女子が腰を上げれば、
「おお、気が利くねえ」
などとくだらんことを男子が言い、
女子はレモンを右手に、左手を防雨林にして、
絞り始めたりします。
それなのになぜ、サワーのグレープフルーツは男子が搾るのでしょうか。
いや、そんな余談はおいといて。
あのレモン絞りは、
本当に「みんなが望んでいること」なのであろうか。
というのが今日のテーマです。
ただの群集心理なのではなかろうか、
というのが岡本の仮説です。
いかがでしょうか。
そんな記念日2。
四谷に「ぶちうま」という、友人が始めたラーメン屋がありまして、
そこは唐辛子を大量に放り込んだ、激辛の広島ラーメンで。
これがまあ、めちゃくちゃ旨いんですが、
食べ方がありまして。
途中で、レモン汁をつゆに放り込むんですな。
そうすると、あれよあれよと味が変わって、
まったく辛くなくなるんですな。
つまり、レモンは味を劇的に変えるのだ、と。
それも、マイナスの方に、「味をなくしていく方向」へと。
それが正しい結論かどうかは知りませんが、
あの衝撃を受けてから、
僕は居酒屋などで出てくる、添え物のレモンを搾らなくなりまして。
とくに唐揚げ。
唐揚げなんて、あんな味の「薄い」ものに、
レモンなんぞかけた日にゃあ、
ただの「鳥と麦の味」になってしまうのではないか?と。
魚も同じで。
焼き魚などは、しょうゆすらかけずに塩で食いたい我が身としては、
レモンは御法度ではないのか?と。
かけていいのは、味の濃い牡蠣(とそのフライ)だけでしょうか。
科学的には、
脂分の消化を助けるそうです、レモンは。
これは納得。
居酒屋で、大人数でいて、レモンが出てきたら、
「かけていーい?」
と身軽な女子が腰を上げれば、
「おお、気が利くねえ」
などとくだらんことを男子が言い、
女子はレモンを右手に、左手を防雨林にして、
絞り始めたりします。
それなのになぜ、サワーのグレープフルーツは男子が搾るのでしょうか。
いや、そんな余談はおいといて。
あのレモン絞りは、
本当に「みんなが望んでいること」なのであろうか。
というのが今日のテーマです。
ただの群集心理なのではなかろうか、
というのが岡本の仮説です。
いかがでしょうか。
そんな記念日2。
独裁者。
投稿日時:2009/11/25(水) 11:46
2日。
2日空白があると、何を書いていいか分からなくなりますね、ブログって。
このたびは、自分を見つめ直しておりました。
37歳にもなって、そんな日々も必要なわけです。
一方で腰痛が治らないのは、
肉ばかり食ってるからでしょうか。
チャップリン「独裁者」を観てから、
少しだけチャーリーについて調べてみたんだけれど、
気が付いたことがありまして。
彼が映画を作っていたアメリカ、あるいは生まれのイギリスでは、
彼の映画は「爆笑コメディ」と宣伝されてました。
しかしここ日本では、宣伝文句が、
「煩悶悲哀」とか「淋しき」とか「泪隠して」とか。
喜劇と銘打ちながら、どこかに哀愁を求め「すぎる」フシがあったようで。
これは日本人の特質かもしれない、という仮説。
「面白うて、やがて悲しき」とかね。
あんなに面白い伊東四朗一座ですら、伊東四朗さん本人の役所は、
悲しい。
あるいは僕らでも、
たいていのコメディに悲哀を混ぜて作ってしまうし、
それが当たり前だと思っている。
あるいは、喜劇とは悲哀なしには作れないものなのかもしれないが、
どうも作ってるこっちとしては、
ついつい「クセで」哀しみをじゃんじゃんと入れてしまうのだ。
初めに鳥を煮込んでおいた水炊き鍋に白菜をどかどか入れるみたいに。
「俺、白菜好きなんだよね」
と嬉しそうに食っているが、
そもそも食べたいのは鳥ではなかったのか。
つまりは、
喜劇には悲哀を入れるということが正解だと
「思い込んでいる」フシがあったのではないか、
と自分に問うたわけです。
肉ばかり食っていると野菜を食えと言われるが、
野菜ばかり食っていても肉を食えとはあまり言われない。
しかし人間は肉でできているんだぞ!
と俺は言いたいわけだ。
↑この画像は便利である
とか言いながら、言ってみただけで。
今後もまったく変わらずごった煮鍋を作っていこうと思っておりまする。
そんな記念日。
2日空白があると、何を書いていいか分からなくなりますね、ブログって。
このたびは、自分を見つめ直しておりました。
37歳にもなって、そんな日々も必要なわけです。
一方で腰痛が治らないのは、
肉ばかり食ってるからでしょうか。
チャップリン「独裁者」を観てから、
少しだけチャーリーについて調べてみたんだけれど、
気が付いたことがありまして。
彼が映画を作っていたアメリカ、あるいは生まれのイギリスでは、
彼の映画は「爆笑コメディ」と宣伝されてました。
しかしここ日本では、宣伝文句が、
「煩悶悲哀」とか「淋しき」とか「泪隠して」とか。
喜劇と銘打ちながら、どこかに哀愁を求め「すぎる」フシがあったようで。
これは日本人の特質かもしれない、という仮説。
「面白うて、やがて悲しき」とかね。
あんなに面白い伊東四朗一座ですら、伊東四朗さん本人の役所は、
悲しい。
あるいは僕らでも、
たいていのコメディに悲哀を混ぜて作ってしまうし、
それが当たり前だと思っている。
あるいは、喜劇とは悲哀なしには作れないものなのかもしれないが、
どうも作ってるこっちとしては、
ついつい「クセで」哀しみをじゃんじゃんと入れてしまうのだ。
初めに鳥を煮込んでおいた水炊き鍋に白菜をどかどか入れるみたいに。
「俺、白菜好きなんだよね」
と嬉しそうに食っているが、
そもそも食べたいのは鳥ではなかったのか。
つまりは、
喜劇には悲哀を入れるということが正解だと
「思い込んでいる」フシがあったのではないか、
と自分に問うたわけです。
肉ばかり食っていると野菜を食えと言われるが、
野菜ばかり食っていても肉を食えとはあまり言われない。
しかし人間は肉でできているんだぞ!
と俺は言いたいわけだ。
↑この画像は便利である
とか言いながら、言ってみただけで。
今後もまったく変わらずごった煮鍋を作っていこうと思っておりまする。
そんな記念日。
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