脚本家は、肉が好き。 2009/9
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リーマンのバカ。
投稿日時:2009/09/14(月) 17:41
衣裳など各種打ち合わせも始まった。
その一方で、1月の戯曲を書き始めようとしている。
初稿〆切りまで8日。
むむむっ。
脚本依頼が複数重なっている時は、
とりあえず一本ずつ書けばそれでいい。
なぜなら実際の作業は僕1人だからだ。
しかし、そこに「演出」が重なってくるときは、たいへん。
演出には照明や音響や音楽や衣裳などなど、
僕以外の人達が大勢絡んでいるから、スケジュールが自由にならない。
「独りじゃないんだ!」
と喜んでいる場合ではないのだ。
しかし脚本と演出は、微妙に使う脳の部分が違うらしく、
並行は、できる。
脚本が脳内でxy平面を使うとすれば、演出は高さのz軸と時間のt軸を使う感じ。
ただしどの軸もリーマン面である。
リーマン面は線のくせに面なので、
脳内では脚本使用領域と演出使用領域が重なることが多い。
A cap B 。
そして演出の方が思考がリアルでパワーがあるので、
脚本の集中力はいとも簡単に途切れてしまう。
脚本は、すべてが夢想だし、所詮は言語空間ね。
生々しい実存には打ち勝てないのだ。
飛んでけ空集合。
で、今その状態である。
が、さしてパニックにはなっていない。
なぜなら、
まったく書く気がしないからである。エッヘン!
♪千の風に~
プロットもほぼ完璧。
人物像も出来上がっている。
実はビッシリと箱書きすらできている。
あとはそれを脚本の「形式」に起こしさえすれば完成する。
完成品が「形式」でいいなら、そうする。
明日が締め切りの場合とかね。
だがプロとしてそれはできぬ。
「ぐぬう、書きたいぜ、こんちきしょう!」
と脳内が成熟するまでじっと待たねばならぬのだ。
部屋で映画を見たり、公園で本を読んだり、カフェで音楽を聴いたり、楽器を奏でたり。
傍目にはもう、全く、優雅そのものに見えているかもしれん。
奥さんがいたら絶対怒っている。
怒る奥さんでいいからほしいのである。
そんなことはどうでもよろしい。
とにかく作家は、この時間が一番「必死」なのである!
……とでも言っておかないと、格好が付かないのである。
ただ単にサボっているだけだなんて、死んでも言えないのだ。
そんな記念日。
なんて素敵にジャパネスク。
投稿日時:2009/09/14(月) 11:32
・電車が定刻に来る。
・電車の椅子がふかふか(特に阪急電車と半蔵門線)。
・狭い道路で車が譲り合う(インドでは互いに絶対動かないそうだ)。
・どんな暗い夜道でも、自動販売機が照らしてくれる(多すぎ)。
・忘れ物がずっとそこにある(日本だけじゃない?)。
・すぐ、そこ、にコンビニがある(市街地だけか)。
・漢字が書けて、読める(漢字圏でない人が覚えるのは相当大変な様子)。
・四季がある(夏が終わる……)。
・自衛隊が、つおい(はず)。
・焼肉が牛肉(本場韓国は豚肉)。
・安くて早い牛丼というものがある。
・しゃぶしゃぶというものもある。すき焼きも、ある。
・なぜか本場よりカレーとラーメンとカツレツが旨い。
そして、
・新品のCDのビニールが開けやすい。
(洋物は開けにくい。開けさせようとする意志すらない)
そんな記念日本。
・あとなあに?
【舞台|阪神淡路大震災】の映画。
投稿日時:2009/09/13(日) 12:16
それに俳優として出演していただいた東京人・太田真博さんは、
あの舞台を最後に俳優を辞め、監督になった。
作品名は、「笑え」。
【舞台|阪神淡路大震災】の千秋楽の前の夜。
恐らくは神戸公演の宿泊先であろう旅館での、出来事。
揉めに揉める俳優たち。
これは、2005年の打ち上げの夜、実際に起こった事件だ。
僕もその場にいた。
監督はあの出来事を、プロットにし、映画化したのだろう。
戯画化と言ってもいい。
あの日は面倒なのでその場から逃げていた僕が知らなかった、
裏側の、さらに裏側が実に見事に描かれている。
しかも即興だという。
信じられないくらい、みんな上手い。
そして、タイトル通り、僕は爆笑しまくった。
笑って笑って、参りましたと呟いた。
おもしろいのだ。
18日(金)まで、大阪九条駅近くの「シネ・ヌーヴォ」で
毎日17時30分から上映中。
関西の方は、ぜひ。
【舞台|阪神淡路大震災】の残滓と未来を目の当たりにして下さい。
予告編
そんな記念日。
プラトン的ピーマン。
投稿日時:2009/09/12(土) 17:46
早稲田大学・理工学部のすぐ近くに、
陸奥だったか奥入瀬だったか、中華料理の定食屋がある。
もうないかもしれないが、確か「奥」という漢字が付く名前だった。
「とにかく旨くて量があるから」
と修士課程1年生の時に、研究室の先輩に連れて行かれて、
生まれて初めて、回鍋肉を食べ「させられ」た。
生まれて初めての回鍋肉は、
生まれて初めてピーマンを食べるという挑戦でもあった。
小汚いテーブルで先輩方はスポーツ紙や漫画誌を読んでおり、
同級生の仲間はテレビで野球中継を観ていた。
やがて大盛りの回鍋肉が運ばれてくる。
豚肉とキャベツと赤茶けた味噌。
豚肉は紐で縛って茹でてから炒めるというのは、だいぶ後になってから知った。
目の前に座っていた先輩は、「恐ろしく旨いだろ?どうなんだ?」という目でこちらを見ていた。
仕方なく、とても辛い味噌が絡むピーマンを、
味覚を騙すように豚肉と一緒に食べた。
けれど苦みはすぐに口内に広がった。
やばいと思った。
しかし。
「あれ?……食える。いや、旨い」
というのがその時の印象だったかと思う。
大嫌いな食材も、
とっても旨い料理、あるいはとても高級なものを食せば食えるようになる。
大人になるというのは、そういうことである。
一度食べることが出来たならば、
安いピーマンでも食えてしまうようになる。
今では好物ですらある。
なぜか。
脳は、その食材が一番美味しかった時の記憶を留めていて、
後に大したことのない同じモノを食べても、
ベストの味が思い出されて旨く感じる。
最近の脳研究で分かったことだ。
この話を知ったとき、
ぜひともプラトンに聞かせてあげたいと思った。
ペンと定規でどんなに正確に三角形を描いても、
それはけして完璧な三角形にはならない。
ペンはかすれるし、線もけして真っ直ぐにはならない。
数学的に言えば、線には幅があってはならない。
地面の土に適当に描いた三角形なんて酷いものである。
けれど人間はそれらを三角形だと認める。
それは、どこかにイデアという理想の世界があって、
その中にある理想的な三角形を、我々が知っているからだ。
そしてその理想を追い求める心が、エロスなのだ。
……というのがプラトンの唱えたイデア論。
弟子のアリストテレスによって即座に否定されたこの理論だが、
人間の思考や創造は、脳の機能と構造を模倣すると考える立場(唯脳論)でいけば、
論拠はある、ということだ。
ピーマンのイデアを知ってしまった僕は、
またピーマンを食べたいとエロスを燃やす。
焼肉は、不味い店では食えなくなった。
恋も、しかり。
歳を取るとイデアが増えすぎる。
そしてエロスが強くなる。
初めはピーマンだった僕の頭も、
いつしか肉詰めになってきたようだ。
たまにはこんなエントリー。
深い意味すらないけれど。
勇気だけでは、たりないから。
投稿日時:2009/09/12(土) 17:31
山下明起さんと、石本敏之さん。
初めてお会いしてのお食事。
団長の中村隆天さんは、
小生が脚本を書かせていただいたWeb映画「I am a HERO.」にご出演されていて。
この話を繋げてくれた女優さんも、
かつてタコあし電源に出演してくれていて。
「なにやら狭いのう」
「それが演劇界というものじゃ」
てなノリで豚肉を食らっておりました。
このお話が、来年あたりにああなってこうなってどうにかなっていくといいですね。
そんな記念日。
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